十字架をどのように受け取るか~マタイ27;32

 イエス・キリストが十字架にかかられた事実は現代の日本において多くの方が知っている内容だと思います。しかしその十字架を自分とつないで受け止めている方はまだまだ少ないのが現状ではないでしょうか。
 イエス様の十字架は私たちの罪の身代わりとしての贖いの業です。つまり私たちが受け止めていく時にその本来の意味を成すのです。 どんなに準備してもそこに来るべき人たちが来なければその準備は意味のないものになります。だからこそイエス様は弟子達にすべての造られたものに福音をのべ伝えるようにと語られました。自分が救われて終わりではなく、福音に生きるようにと言われたのです。ここには自分の計画などを横に置いて従う決断があります。また状況的にそうしかできなかったと言われる方もおられるかも知れません。
 聖書を見るときにイエス様の十字架を代わり背負ってゴルゴダの丘まで歩かされたクレネ人シモンという方がいます。あまり聖書には登場しませんが彼が初代教会において重要な役割を少なくとも間接的には持っていたことを聖書から私たちは読み取ることができます。彼にとってはたまたまそこに居合わせただけでローマの兵隊から十字架を背負って運ぶように言われて散々な目にあったという状況です。しかしその時のイエス様との出会いがシモンの人生に大きな変化をもたらすきっかけになったのでしょう。どのようなかたちであっても私たちの人生において主が与えてくださるサインに対して信仰を持って受け止めていきましょう。

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