週報より

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれということばが日本のことばでありますね。自分を捨てた時に見つけることが出来るものもあるということを教えている言葉ですがなにかを得るために計算づくでしている感があります。一か八かの賭けのようなものですね。今日の聖書箇所では明確になにかを求める時に自分の快楽のために求めることは動機が間違っていること世を愛することは神と敵対することだと教えています。これはどういうことかと言うとこの世とは自己中心的な生き方であり、利己的な歩みです。自分のために誰かを犠牲にする生き方です。それはピラミッドの頂点に自分を置き、それを支えるために苦しんでいたり虐げられている人がいてもいいという考えです。神に従う生き方というのは方向性がそれとは逆で人々に自分を与えていく生き方、まさにイエス様がそうされたように歩む生き方です。こういった歩みには時として痛みが伴います。しかしそこに本当の豊かさがあるのです。神様はそのような者に恵みを豊かに与えると明確に記されています。私はこう考えます。まず私達の心が神様によって満たされます。天国への確信がさらに強められます。心が強くされます。そしてお金を正しく用いることが出来る人には経済的な祝福も与えて下さるでしょう。事実今の社会の特に福祉分野においてクリスチャンの方々の働きや資本が根底にあるケースが多くあります。虎は皮を残しますが私達は何を残せるでしょう?名を残したとしても何の益にもなりません。生きた素晴らしい働きを、燃えるような信仰を伝えていけたら、どんなに素晴らしいことか分かりません。神様の思いに生き、そしていつまでも残る義の実を実らせ、残す生き方をしていきましょう。

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