週報より
最近家の片付けをしていて、大事にとってあったり、いつか使うだろうと思っていたものが痛んでいたり、また限られたスペースですから優先順位をつけて処分していったりする中で自分の体を含めて朽ちる存在であること、また朽ちるのであればどのように輝いている時を過ごすことが出来るか、また十分に有効活用出来るか、そして永遠に朽ちない神様の愛、真理を考えさせられました。私は基本的に楽をしたい方なので効率を考えるタイプですが、長年貯めてきた家の中のものはなかなか手強いですね。粗大ゴミとかになると簡単に処分できるものばかりではなくなってきます。しかしそれがあるから本来必要なものが置けなかったり、スペースを占領されてしまいます。そこで思い切って労力を使ってそれを処分するか、あるものは仕方ないと甘んじて受け入れて窮屈な状態でいくかを選択したりしないといけなくなります。この窮屈さというのは不思議なもので慣れてくるとそれが心地よくなっていたりする事もあります。シートベルトをすることが習慣の方はしていないと不安な感じがするでしょう。腕時計もつける習慣の方にとってはしていないことが違和感があるものです。私たちはそういった物以上に意識の中で自分を縛り、窮屈に生きている時があります。そしてそれを時として生き甲斐だと認識していることもあります。神様の真理は私たちを自由にします。何かに依存して生きるのではなく、自由意志でより良い選択をしていく自由です。それは神様と自分で向き合って選択していく生き方です。そうすれば必要な物は与えられます。また本当に必要なものも分かってくるでしょう。永遠に向かってベストを尽くせる歩みをしていきたいですね!