主によって集められる

聖書の中で歴史が大きく動く時に神様は選ばれた者、また者達を用いられています。そしてその人数は少ないことがほとんどです。出エジプトしかり、エリヤの戦いしかり、ギデオンの勇士達しかり、ダビデの戦いの歴史しかり、そして新約において福音宣教を大きく解き放ったって行ったのはそれぞれの地域に遣わされていった使徒やクリスチャン達を主は大胆に用いて偉大な御業を成し遂げておられます。特にギデオンの時には数が多すぎるからとどんどん数を減らされたほどです。主によって集められるということは恵みによることであり、そしてそこから力強い働きが起こるということです。サタンは私たちの信仰を小さく評価するように様々な策略を張り巡らします。私たちの失望や信仰に立たないようにと小さな傷から大きな傷まで用いて働きかけてきます。そのような霊的圧迫に対してみことばによって真理に立ち、祈り、そして行動する者として私たちは整えられていく必要があります。救いは信じることから始まり、そして信仰は私たちの思いや行動に変化をもたらします。これは自然な流れなのですがここに努力することをなんだか信仰に立っていないように錯覚を起こすことがあります。確かに行いによって救いは完成しません。しかし救われたからこそ私たちは日々イエス様を目指して自分の罪や弱さを悔い改めつつ、きよくされていく者となっていきましょう。それぞれの信仰の歩みを共に祈り合い、励まし合って前進していきましょう!

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