週報より
なにか物事が進まなくなる時、転機を感じる時、そういった決断をようする出来事をしばしば私たちは体験しているのではないでしょうか?時として神様は道を閉ざす形で私たちを導かれることがあります。今日の聖書箇所においてパウロ達は宣教の途中、聖霊によっていくことを止められます。そしてその後夢を通してマケドニアにいくことを示され決断しました。私たちは先にどう変わるのか知りたいと思うでしょう。閉ざされる前に代わりにどこが開くのか分かればどれほどストレスが少なく済むかと感じるでしょう。しかしレールがあるから走る電車ではなく、レールがなくなった時にさらに模索して進もうとするか、もうそこで諦めるかの違いがあります。人に言われないと何もしないのではなくて、自発的に出来ることを探していく姿勢がとても大切なのです。人が作ったレシピに従ってつくることも料理ですが、自分で工夫しながらレシピを作ることが前者のやり方と比べてどれだけ大変かは想像に難しくないでしょう。しかしそれを通して得るものはとても大きいものがあると思います。多くの失敗は-ではなく、経験なのです。その経験がさらに新しいものを作ろうとするときに生きるのです。私たちは自分で神様の導きを感じ、そして体当たりで歩んでいるでしょうか?時に疲れ傷ついたとしてもそれを乗り越え癒される体験があれば、あなたは同じような体験をした方を心から労り、励まし、癒すことができる素晴らしい器に整えられることでしょう。