週報より~とりなしは自分のため~

とりなしの祈りと聞くと特別に祈りを主体とした働き人がすることのように感じるかも知れません。しかし第1テモテ2章にはすべての人々のために、また王とすべての高い地位の人達のために祈りとりなすことそして感謝することが出来るようにしなさいとあります。それは神様の前に正しくそして私たちが敬虔に、そして威厳を持ち、平安で一生を過ごすことができるためとあります。つまりその祈りはただ自分が祈りや思いめぐらすことによって時間をただその祈りの対象に費やすだけでは終わらないということです。その祈りによって地域の政治や社会が変わっていくこともあるでしょう。実際そういった地域ごとトランスフォーメーションされている地域や街、さらには国もあるのです。祈りは時としてそういった大きな働きの原動力として力強く働くのです。日々の生活の中で私たちはもっと自分たちの地域に立てられているリーダー達のために祈りとりなすべきです。それは主の前に正しいことだからです。彼らが正しい判断をすることが出来るように、また現時点がどうであったとしてもこれから先さらに改善されていくように期待と忍耐を持って祈りとりなしていきましょう。それは神様の方法で私たちの歩みにもその祈りの結果が伴ってくることだからです。私たちの住んでいる地域が5年後、10年後、50年後、100年後よりよい街、国、世界になるよう祈りの火を灯していきましょう。

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