週報より~感謝して受ける時~

神様が世界を作られた時、創世記のはじめで「よしとされた」ということばがひとつひとつの事柄において用いられています。神様が創られた光、人間、そして動物達、空や海などすべてのものを神様は祝福し、よしとされたのです。ですが本来よいはずのものであっても使い方を間違えたり、また偏った用い方をしたりすることでバランスが崩れてしまいます。商業目的での乱獲などにより生態系が崩れ、その結果自然が崩壊していく現実を私たちは今の時代に多く見聞きしています。神様は人間をこの地上を治める存在として本来創造されました。感謝し、賢く治めるならばそこには繁栄と祝福があるでしょう。しかしエゴや自己中心から無知な治め方をすると様々な害を及ぼします。治めることは外部から見るとかっこいいかも知れませんし、名誉欲を満たしてくれるものかも知れませんがその責任を本当に知る時に神様の前に遜り、ソロモンが神様に知恵を求めたように多くの知恵を得ていかなければ全う出来るものではありません。私たち個人に出来る範囲は極限られている範囲かも知れません。しかし過不足なく感謝して治めていく時に捨てるべきものはありません。聖書的に見て改める点はあるでしょう。しかしその体験も感謝して受ける時に傷ではなく神様の愛を伝えていく人間味のある証しとなります。感謝を献げることは私たちの力であり知恵です。そして恵みにつながる大切な祈りであり賛美です。自分の人生に起こったことひとつひとつ、神様の前に出して祈り感謝し、思い巡らして見ましょう。きっと自分の気づいていなかった恵みを発見することが出来ます。そしてもっと自分を好きになりましょう。今までもこれからも自分の人生は自分だけのものだからです。

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