週報より~敬虔に歩む道~

聖書にはしばしば敬虔ということばが出てきます。第1テモテには敬虔のために自分を鍛錬するようにと教えている箇所があります。そしてこの敬虔はすべてに有益であるとあります。敬虔と言われると意味が少しぼんやりしますが調べて見ると類義語として「真面目」とか「切実」ということばがあります。真面目は分かりやすいですが切実はちょっと外れているように感じますね。しかし敬虔ということば自体は信仰に深く結びついていて信心深いことや神様の前に畏れかしこむことについて用いられることばです。つまり切実に神様を求めていく姿勢という意味になります。神様を切実に求めていく信仰を鍛錬すること。つまり神様に向かって祈り、賛美し、聖書のみことばに親しみ、そして知識で終わらせるのではなくみことばを実践し、教会の交わりを通してお互いに磨きあっていく時に結果的に敬虔さを磨くことが出来るといえるでしょう。ここで神様との交わりだけでなく人との交わりもとても大切です。箴言27章には鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。とあります。とがれるとはふたつの物がぶつかり、すりあわせられる時に初めて成り立つことばです。多くの場合、人との繋がりは表面的になりやすいものです。ですから本音をぶつけあえる関係「友」を自分を磨くものとしてソロモンは挙げたのでしょう。そしてイエス・キリストは私たちの救い主として来られただけでなく、友としても来て下さったお方です。イエス様に心からぶつかっていき、そしてすりあわされ、そして磨き上げられていきましょう。そして信仰の友との関係の中で豊かに磨きあげられていきましょう!

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