週報より~恵みの循環~

同じことなら~と知り合いの店から物を購入したり、一手間かけて知り合いにメリットがいくように工夫した経験はありませんか?そういったことなどから行きつけの店があったり、よく話をする知人以上友人未満の関係が増えたりしたことはないでしょうか?私たちは潜在的に誰かを喜ばせたいという欲求を持っています。でもそれを裏返すと誰かに感謝されたいという風にもとれます。事務的に感謝されるよりも心から感謝されるほうがうれしいでしょう。またブランド品を購入する時にはそれなりの店構えの店で購入する人のほうが多いという統計もあります。それは安く買いたいのではなく、ステータスを身につけたいという欲求の現れではないでしょうか?しかしそういった考えの根底にはどこか自己中心的な考えがあります。1テモテには同じクリスチャンである主人を持つ場合でもクリスチャン同士=兄弟という考えで軽く見るのではなくますます尊敬し仕えることを教えています。その良い働きから益を受けるのは同じクリスチャンであり、神様に愛されている人ですよと。何か私たちが犠牲を払う時にそれはイエス様にしていることと同じこととも聖書は教えています。それは私たちが尽くすことを自己中心的な善ではなく神中心の善にシフトしていくことを教えています。したことに対して感謝がなくても、それはイエス様にしていることであり、天に宝を積んでいることになるということです。私たちはついつい目先の評価や感謝に振り回され、その結果人当たりのよい人が得をし、人付き合いの下手な人が損をしてしまう文化を形成してしまいます。天国の文化はそうではありません。主に対してするように、今一度自分の動機を見直して歩んでいきましょう。

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