週報より~命のある信仰~

世間体はある程度は必要かも知れません。でもそういった外面的なものばかりを気にしていると窮屈なものです。他人の目を気にするあまり自分の意志とは違うことをしなければならなくなったりすることもあるでしょう。また自分の立場を守るために責任転嫁したり横暴になってしまってはその立場にある本来の役割を果たしているとは到底いえない状態です。問題は大きくなると取り返しのつかないことや時には犯罪になってしまうこともありますが、日常生活の中で引っ込みがつかなくなってしまいとりつくろったりした経験はほとんどの方にあると思います。私たちはそういう経験から何を学んでいるでしょうか?いつのまにかうまく誤魔化すことを覚え、それが大人だと錯覚し、裏と表が激しくなってしまうといつか自分に嫌悪感を抱き虚さにさいなまれてしまうかも知れません。私たちの心は健全である時には生きていることが楽しいと思えるように出来ています。しかし不健全な状態だと虚しさを覚えたり、怒りがエネルギー源になってしまっていたり、他人を意図的に傷つけたり疑念を抱くように働きかけるようになっていきます。簡単にいうと「他人の不幸は蜜の味」という心の状態です。神様はそういった卑しい心からも私たちを解放し、自分にしかない人生を喜びを見いだして歩むことが出来るように命を与えるためにイエス様を遣わして下さったのです。罪からの解放とは犯罪をしても捕まらないとか犯罪を犯さなくなるというわけでもなく、その心を変えていくということを意味しています。他人と比べて落胆してしまうガラスのような私たちの弱さをイエス様は理解し、力づけ、励まして下さいます。そして少しづつ周りの人を見る生き方から神様を見上げる生き方に造り変えて下さいます。世間体を気にする前に、神様は今の自分を見てどう思われてるだろうか?と神様の前に堅実に自分の人生を建て上げていきましょう!

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