週報より~主にあって受け入れる時~

初代教会は多くの迫害の中成長していきました。その歴史の中には信仰ゆえの迫害もあれば、個人個人の未熟さゆえの迫害というよりも批判もあったと思います。前者の信仰ゆえに迫害される時に迫害される側にはなんの落ち度もなく、ただ時代的流れで追い込まれる立場となります。時にはその迫害の中命を落とす人も存在しました。ローマ帝国はそうすることによって残っている初代教会のクリスチャン達は信仰を捨てて逃げ出すと考えていたからです。また増え続けるクリスチャンの増加を止めることが出来たとも考えていたことでしょう。しかし結果は異なりました。中には信仰を捨てて逃げた方も実際にはおられたとは思いますが教会は人数的にも成長を続けていました。迫害の中命を落とす時にも自分に対して剣をあげる者のために祈り、神に赦しを求めていくその姿に真実を見出す人が多く存在したからです。当時のローマ支配は決して恵まれたものではなく多くの奴隷や虐げられた人達が存在していました。そんな中で立場や階級に関係なく神の家族として結ばれあい助け合う初代教会には愛と真実と希望があったのでしょう。人は真実なことになら命をかけることが出来ます(洗脳された状態を除いて)神様の与えて下さる真実は私たちの存在意義を明らかにし、存在価値をしっかりと持つことが出来るようにし、人生の目的を明確にして下さいます。そして自分がおもっていたどん底から引き上げて下さるのです。人は誰しも認められたいという願望がありますが誰よりも神様が認めて下さっていること、そして神の家族が認めてくれていることを知る時に平安を得ることが出来ます。どんな時にも主の前に受け入れ合い、認め合う者でありましょう。

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