週報より~不動の礎~

砂の上に家を建てた人と岩の上に家を建てた人のたとえ話は聖書の中でも有名な話です。ここでいう岩とはイエス・キリストのことです。イエス様に自分の基を置く時に揺るがない家、つまり自分の生活、また人生を建て上げていける。そしてそれは嵐(試練や困難)にあっても揺るがされることはないというものです。これはキリスト教信仰の根幹にも結びつく大切な真理です。もしここが揺らいだり、また信仰からずれてしまっていると私たちの信仰の火は揺らぎ、今にも消えそうになりながら嵐の中に置かれるような状態になるでしょう。また神様はキリストに礎を置くならば不義から離れるように命じられています。立ち向かうのでもなく、容認するのでもなく、仕方ないと諦めるのでもなく、離れなさいと命じておられるのです。私たちは悪いものだと分かっていても流されてしまう弱さも持ち合わせており、また弱いからこそ支え合うことで強くなることも出来る存在です。あえて自分の前に不義をおいたり、誘惑をおく必要はありません。私たちにはそれに流される弱さも自由意志もあると同時にそれを避ける分別も自由意志も同時に与えられています。最終的にどうするかは私たち自身が決断することが出来るのです。キリストの上に不動の礎を築くか。自分自身のフィーリングで流されやすい礎を築くかも私たちは決断する自由があります。神様は聖書の中で私たちにこの上ない愛を示し、赦しを与え、救いの道を開いてくださっています。知る自由もあれば信じる自由も、またそれによって生かされる自由も私たちには与えられています。不動の礎であるイエス・キリストにあって自分の人生を見直し、そして建て上げていきましょう。

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