週報より~とどまるべきところ~
先日頂いた佃煮と海苔で夕食を済ませました。それはごはんと味噌汁とそれらのものだけという非常にシンプル(手抜き?)なものでしたがとてもおいしく、そして満足感のある食事でした。「日本人でよかったな~」とまで思ったほどです。久しぶりにそのような食事をしてやっぱり自分は日本人だと思える心を持っている自分やそういった思いを持つ自分たちのことをいろいろと思い巡らしてみました。慣れ親しんだといっても子供の頃からそういった食事ばかりしていたわけではありません。が文化の中にそういった場面があり、ごはんと漬け物とかお茶漬けとかがたまに食べたくなる瞬間があるのはある種の遺伝的なものもあるのかなと考えました。ホッとするとか落ち着くといった感覚は誰しも誤差はあってもあると思います。そういった感覚をどういう時に持つのかという時に育った文化的背景が本当に大きく影響してくると思いました。聖書に慣れ親しむということは、まさに社会の波にもまれて疲れを覚える時にみことばに触れてホッとする。という感覚を味わうまでに自分の中に染みこませることが大切だと実感しました。私たちの避け所であり、砦である神様は私たちを守り、保護し、養うということを示すためにそういった表現で記されています。そこにいたら安全、安心ということです。みことばにとどまり、神様にとどまることは緊張することではなくて、安息を得ることです。力をいれることではなくて、リラックスできることです。聖書にもっと親しみ、神様の前でホッと出来る心を育んでいきましょう。