週報より~義の栄冠~

栄冠というと楽天が初めての優勝を飾ったことや、またオリンピックで金メダルを獲得した選手など努力の末に結果を得た場合に使われることばという響きがあります。その意味を調べると勝利のしるしとして与えられる名誉の冠という意味があります。第2テモテ4章には義の栄冠がパウロのために用意されており、天においてそれを正しい審判者である主が授けて下さるということが記されています。義の栄冠ということはパウロは不義に打ち勝ったからこそその勝利のしるしとしての栄冠があるということです。では義と不義とはなにを基準に決めるのでしょうか?私たちの常識が基準だと世界という視野に立つときに小さなマナーの違いから始まって多くの文化に通じる絶対的な義というのは法律の遵守などになるでしょう。そしてその中から誤差を無くしていく時に明確な世界的に通じる義というのが実は意外と少ないことに気がつきます。例えばある文化圏においては殺人ですら正当化されて家の誇りを保ったと犯罪どころか英雄扱いされてしまうことすら現代においてもあるのです。そういった時に立つべき義の基準は聖書に立つことが出来るか出来ないかで大きな違いが生じます。法律はどこか抜け道があったり、また表面的な結果、しかも明るみにでた場合にしか裁くことが出来ません。スピード違反をしていても捕まらなければ罰金も無ければ減点もないことと同じです。しかし義の基準は行い以上に私たちの内面を照らします。私たちは自分の行動を制する以上に私たちの舌を制し、そして心を制することが大切です。私たちは聖人ではありませんから憎しみが沸き上がってくることもあります。しかし主に立ち返り続け、不義に流されず、互いに支え合いながら義の栄冠を獲得できる歩みをしていきたいですね!

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