週報より~裁きの律法から愛の律法へ~

イエス様を信じるということは罪のゆるし、天国への道を得ることが出来るという誰でも受けることが出来る神様からの大きなプレゼントです。旧約聖書には多くの律法が書かれており、それによって罪やそれを守ることが出来ない私たちの弱さ、そして神様の赦しと救いの計画について書かれています。そしてイエス様が十字架と復活という事柄を通してある意味律法を完成させます。それは罪=裁きという図式に愛と赦しというものを重ね合わせるようにされた出来事だと思います。罪は裁かれるべきものですが本来私たちは裁きたいのではなく、裁かれなければならないことをしてほしくないのです。裁いたとしても世界中どこの国でも再犯率というのはかなり高い割合を占めています。裁くだけでは人は変わりません。しかし愛と赦しというものを本来ある罪と裁きというものに重ねていく時に人は本当に神様によって変わることが出来ます。それを見越して罪を犯すというのはここでは問題外なので省きますが愛と赦しによって変わりたいと願いますし、また他の人のことも赦すゆとりも出来るでしょう。神様が律法を定められた本質ははすべての人がギスギスしながら生きるためではなく平和のうちに、幸せに歩むことが出来るためです。ルールを知らなければ知らないうちに迷惑をかけたり自覚なく罪を犯してしまうでしょう。そのために律法は絶対必要なものです。しかしそれだけでは方手落ちです。神様の愛というものを知って、そこに重ねていく時に自分の弱さを知り、神の偉大さを知ります。神様の御手の中で愛の律法のうちに包まれながら歩んでいきたいですね。

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