週報より~子供から大人へ~

赤ちゃんはお腹が空いたら泣きます。そして与えられたものを口にするわけですが、そこでそれが安全かとか誰がくれているのかとかまでは考えません。そこには欲求とそれを満たすことという簡単な構図があるだけです。そして徐々に母という存在や親という存在を知っていき、他人と区別するようになります。そして大人になっていく過程で栄養バランスや、経済的に可能かどうかとか、様々なことを考えてこの空腹と満腹という単純な事柄を複雑に考えられるようになっていきます。律法や罪、また恵みも同じような側面があり、罪=裁きという簡単な構図がありますがじゃあなにが罪なのかを知らなければなぜ裁かれているのかも分かりませんし裁く意味もないに等しくなるかも知れません。私は子供の時にスーパーのお総菜コーナーにある試食が好きであるとつまんでいました。その習慣でお総菜コーナーには試食があると思っていたのである時山のように盛ってある唐揚げを見つけ、その山からお皿の縁に落ちている唐揚げを試食だと思い食べました。その時私の親は店の人に謝り唐揚げを買い、あれは試食ではなかったことを教えてくれました。その後で悪いことをしたと初めて分かったのです。私のした自覚のない罪に対して親が償ってくれ、そして罪を示してくれたのです。それからは慎重に見る癖がつきました。そこに成長があるのです。律法とは私たちを裁くためにあるだけのものではなく、かえって私たちが祝福のうちにまっすぐ歩むことが出来るために存在しています。イエス様の十字架からくる贖いの意味と価値をしっかりと知り、成熟した大人として祝福の道を歩んでいきましょう。

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