キリストにあってひとつ~週報より~

イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなり十字架にかかり、

3日目に復活し、信じるすべての人に救いを約束してくださいました。

そのイエス様という御方をどういう風に受け止め、

理解しているかひとりひとり理解の仕方や受け止め方は違うと思います。

聖書を見ても勝利の主という表現から忍耐という側面を強調して書かれている箇所もあります。

四福音書ではそれぞれ王としてしもべとして人とそして神としての面を強く書かれています。

イエス様という御方を理解するためにそれぞれの性質を良く理解する必要があるからです。

そしてそのイエス様を信じて生きようとする時に人生にある楽しいことも辛いことも信仰によって感謝したり、

忍耐したりするように成長していきます。

信仰しているから楽が出来るというものではありません。

ただ忍耐する力は与えられますし、恵みもあります。

それをどのように受け止め、伝え、神様と人とつながっていくか。

お互いに補い合いそして心をひとつにし神をほめたたえるためと私たちの信仰のあるべき姿、

そして教会のあるべき姿について聖書は教えています。

そこで助けになるのが四福音書の方向性の違いがあるように、

お互いの違いを理解しあった上で信仰によって繋がっていくということです。

信仰は忍耐を教えているのであり我慢を教えているのではありません。

我慢の語源は自分に執着するために起こる慢心という意味があります。

それは変わらない状況を身を削りながら留まるようなものです。

忍耐は堪え忍ぶことであり仕返しや暴力に訴えることはありません。

我慢は怒りに繋がりますが忍耐は品性につながります。

イエス様のような品性をもとめて心をあわせて進んでいきましょう!

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