様々な宣教~週報より~
宣教や伝道と言っても思い浮かべるスタイルには個人差がかなりあると思います。
私は神学校時代路傍伝道を良くやりました。
宣教というと私にはそういうイメージが強いかも知れません。
しかし宣教とはじっくりと落ち着いた関係をつくりつつ信頼関係の中から教会に興味を持たれた方が自発的に来られるようなスタイルもあります。
そのどちらも宣教という視点では大切なものですし意味があるものだと思います。
まだ時代や世代によって実際の行動に移した時に目に見えるかたちは違って当然です。
大切なことは様々な方法を用いて福音が伝えられているということです。
時にマイナスに思える方法もあるかも知れません。
しかし批判だけしてしまうよりもより成熟していくように祈り、
また必要に応じて関わっていく時にお互いに高めあうことが出来ることでしょう。
誰が何人に伝道したということよりも、
イエス様のすばらしさやイエス様を知った喜びがひとりでも多くの方に伝わるように、祈り備えつつ歩みましょう。
また積極的な宣教プログラムが豊かな結果を出していくことが出来るように祈り支えていきましょう。
大切なことはキリストの体として繋がり合い補いあう姿勢です。
お互い遜りあうところに真の一致と祝福が与えられるのです。