語る者としてふさわしく~週報より~
言うだけで何もしていない人にいくらいいことを言われたり諭されたりしてもなかなか自分の身につきにくいものです。
もちろん反面教師のような相手からも何でもいいものに変換してでも身につけようというような向上心を持つことは素晴らしいことです。
しかし長続きしなかったりやはり自分がある程度出来ていることを語ってこそ説得力が出てきますし相手はそのことばとことばの実を見ることが出来ます。
誰かに憧れる経験を誰しもしたことがあると思いますがどんな人に憧れるでしょうか?
言うこととすることが全く一致しない人に憧れる人はなかなかおられないと思います。
では自分で憧れたくなる人になろうと努力したことはあるでしょうか?
そういったいかにも自分を見てほしいというような雰囲気を出しているのもまた考えものです。
結果としてそうなるのであり憧れられる人になりたいというのが目的になってはいけません。
努力の積み重ねは忍耐が必要です。
またそれ以上に明確な目的や決断がなければ長続きしません。
私たちがそういった積み重ねをしていく動機はイエス様の愛への応答であれば高ぶりという大きな落とし穴から守られやすくなると思います。
それは目指すべき高みがそうそう簡単に到達できないものであることを知ると同時にありのままの今の自分でも愛され受け入れられているという基礎となる部分も知っているからです。
その両方がしっかりと認識出来ている時には人と比べて一喜一憂したりしにくくなります。
私たちに与えられている良きものを私たちの未熟さで見えなくしてしまわないように気をつけましょう。
神様の前にリラックスして、主にあって成熟し、主にあって周りの方々を高めていけるような人へとなっていきましょう!