この地をいやす者~週報より~
いやしの働きは単に体の病気や怪我などからの回復だけではなく、心のいやし、また街や国の回復をも指していることばです。
街の癒し、また地域のいやしとはどういうことでしょうか?
日本の場合は特に顕著でなにか事件や大きな戦があった場所には大抵神社が建っていたり何らかの偶像を祀っています。
それは恐れからくるものがほとんどです。たたりを恐れる心からそこに鎮魂の意味を込めて神社を作り、またそこに礼拝しにいくようになります。
時代が変わりその根本的存在理由を知らなくなっても漠然とありがたいという感情を持ってそこにいく人も多くおられるでしょう。
そこには情から始まったものに偶像礼拝という罪や恐れが混ざり合い取り扱うことが難しい問題として存在しています。
しかしこの絡んだ糸をほどいて情は情として、罪は罪として切り分けていくことは本当に大切なことであり、根本的ないやしと解放をもたらします。
このとりなしの祈りの根本は地域や他人が犯した罪(間違った方向性への決断、的外れな事、行為)を自分の罪として神様の前に悔い改めていくことであり、
またその地がどんな場所になっていたとしても神様の祝福を祈っていくことです。
すべての場所は神様に創られた場所であり、本来汚れた場所は存在しません。
そこに偶像を作り、罪の温床や恐れの対象にしているのは私たち人間の弱さや罪、恐れの結果です。
この地を神様の前に祝福のうちに贖い取ることは私たちクリスチャンの世の光、地の塩としての働きの中に含まれます。
心の景色が変わる時に事実見える世界の景観も変わっていきます。必要がなくなれば建物は建て替えられるのと同じことです。
神様がこの地をいやし、豊かな祝福を流して下さるよう祈りとりなす者となりましょう。