心を燃やして祈る~週報より~
ゲッセマネの園でイエス様が十字架への道をいよいよ歩まれる直前に3人の弟子を連れて行かれ祈られました。
そして3人に目を覚まして祈っているようにと言われましたが3人の弟子達は眠りに落ちてしまいます。
そしてイエス様に起こされ、また祈るということを3回繰り返します。
その中でイエス様は心は燃えていても肉体は弱いということ、
また誘惑に陥らないように目を覚まして祈っているようにと教えられます。確かに私たちの肉体には限界もあります。
しかしその事と誘惑=眠気とのみ捉えてしまうのは切り離して考えるべきです。
この状況は局地的な状況ということを考えると3人の弟子達には危機感が足りなかったということがあると思います。
私たちも毎日寝ないというのは無理としても一日徹夜ということは経験したことがある人はおられるでしょう。
その理由がなにか大変なことが起こってというのであれば眠れないということもあると思います。
イエス様が共におられるその状況は彼らにとっての日常であり緊急性を自覚しにくかったのだと思います。
それまでも危機的な状況を超自然的にイエス様が乗り越えて来られたことを弟子達は知っていたからです。
罪とは的外れな行動や思いを指しますがここで弟子達はイエス様の命じられたことに従えないという的外れな行動をとってしまいます。
しかしそこにはイエス様の赦しと教えがありました。
自分の弱さを自覚し、目を覚まして祈るとはどういうことでしょうか?
彼らはそこで何を感じたでしょうか?ゲッセマネの出来事だけではありません。
私たちの周りには罪や浪費につながる誘惑が多く存在しています。
目を覚まして、イエス様にフォーカスして祈る者となりましょう。