御心に沿う者として

私たちの祈りは願い、感謝、とりなしなどいろんな種類があると思います。その土台となっていく事柄が神様の御心にかなう願いをするなら神はその願いを聞いて下さるという第一ヨハネの手紙にあるくだりです。ここに神様と語り合うように思い巡らし神様の御心を見出していく信仰の交わりの必要性を見出すべき重要性があります。聖書を読んでいく時に持つべき姿勢、態度、方向性はある程度理解しそして従っていくことが出来るようになるでしょう。しかし聖書には超自然的に神様が語りかけられたり、幻や夢を通して普通に考えるとあり得ない行動、決断をすることによって神様が御自身の御心を明らかにされている箇所も多くあります。知性の信仰だけではそういった箇所を読み解くことは困難です。しかし私たちが非常識であったり、変質者のようであることの言い訳に信仰を使ってはいけません。神様の御心を知っていく過程において祈り、賛美、みことばを土台とする礼拝者としての生活という基礎があってこそ、より神様の導き、御声をしっかりと聞き分けることが出来るようになります。神様は霊なる御方ですから私たちも霊とまこととを持って礼拝するように聖書にある通りです。神様の御心は私たちの嫌なことばかりを押しつけるような窮屈なものではありません。神様の御業を体験していく時に私たちの人生にはより多くの喜びや感動が伴います。神様は今も生きて私たちを導き、そして御心を知り、そのために祈り、働くクリスチャンを捜し、整えておられます。神様の御心に沿う者として整えられ、力強く歩んでいきましょう!

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