恵みに目を開かれる時~週報より

病気になって健康のありがたさを痛感したり、失ってみて初めてそのものの価値に気がつくこともあると思います。私たちは何らかの欲求に突き動かされて得たい得たいと願うことの多い者です。私たちはなにか欲しい物や達成したい目標がある時に狭い視野でその物事のみを注視します。猟師が獲物をじっくり見てタイミングを逃さないように注意深くその事のみにフォーカスするのです。しかし得てみるとしばらくするとまた新しい欲求が出てきます。このサイクルのみに私たちがはまっていると神様の恵みの深さや、また神様のご計画の深さ、また本来得られるはずの恵みにさえ気がつかないまま多くの時を過ごしてしまうことになりかねません。パウロはその手紙の中で信仰ゆえの賞賛、そしり、好評、悪評のすべてを信仰によって受け止め、また乏しくとも富んでいると記しています。パウロにとってこの世の富や成功も試練もすべて信仰に根ざして対処出来るかどうかに焦点が当てられているのです。表面に見える部分が人間的な基準で損か得かではなく、そのすべてを信仰によって対処していきながら信仰の階段をしっかりと踏みしめて登っている姿勢を見出すことが出来ます。イエスキリストを信じる信仰によって赦され、どれだけ愛されているのかを知り、天国への鍵がしっかりまず握りましょう。神様との関係を修復することほど私たちの周りにある問題は大きな課題や目的とはなり得ません。多くの問題は移り変わるものであり、また私たちの成長や心の変化で忍耐することや避けること、また解決することも可能だからです。しかし私たちの救いは神様の愛、キリストの十字架と復活の恵み、聖霊様の助けがなければ私たちの勝手な思いでは成し遂げることはできません。信仰の土台を堅く築きあげていきましょう。

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