信仰と行い

イエス様を自分の救い主として信じるならば私たちは救われます。その土台は揺るぎません。そしてそこから信仰に立った行いというテーマが出てきます。多くの異端はこの行いがないと救いが達成できないと恐れを抱かせることで訪問伝道や奉仕に駆り立てます。見た目はよいようであっても中身が違うのです。イエス様によって救われ神の子とされた喜びで伝道したい。奉仕したいと私たちの内面が変えられていくプロセスが信仰にはあります。自分によくしてくれた人になにかお返しがしたいと義理堅い日本人はよく思うでしょう。心が変われば行動が変わるのはごく自然なことです。礼拝に行くという行為、行けない時に残念に思うこと、献金を喜んで捧げることができるようになること、人が救われるのがすごくうれしい。また人との関わりで的確に励ますことができて感謝できる。そんな積み重ねをふと振り返る時に聖霊様の助けがあったことを感謝できる。こういった信仰に基づいた行いは私たちの成熟とともにより自然にできるようになってきます。より信仰的に見せようと背伸びしているとひとつ間違えると自己実現のための行い、また恐れによってしなければならないと教えられて無理矢理従う状態だと共依存関係に陥ることもあるでしょう。主がそれぞれの信仰から出てくる品性と行いをより磨きをかけ、神様からの恵みによってのみすべてのことを成していくことができるように、祈り、自分自身を吟味し、そして行動していける者となりましょう!

Follow me!