安心して遜る心

人間関係の中で小さい子供でも抱く感情が自分より相手がうえかしたかといった感情、また感覚があります。この感情のベースには人より上に立ちたいという利己的な考えがあると同時に自分より強いと思える存在を直感的に理解し、無謀な事をしないようにするという自分自身を守る側面もあります。しかしこの感情が現代社会において理不尽を通す大きな役割を担い、また多くの人たちが傷つく元となっていることも否めない事実です。そして成長していくうちに自分の限界や分を知る中でこの問題の中で固定化される思いを持ってしまうこともあるでしょう。聖書には年長者、また知識や人格に秀でた長老に対して支配するのではなく模範となるように、そして若い者、未熟な者、まだ成長の過程の初歩にある者に対して謙遜を身につけるようにと教えています。そしてそれらの文脈の流れから神の力強い御手の中に遜りなさいと記しています。さらにちょうど良い時に高くしてくださるためとあります。人の前での自分の位置に一喜一憂する生き方から全能の神の前に遜り平安を得ることは背伸びして無理をする生き方から解放をもたらしてくれます。この順序はとても大切な事柄です。人の前の関係を正したり測る前に神様との関係をしっかりと据えるならば人との関係においてひとつひとつの関係に振り回されないアイデンティティの基礎を持つことができるようになります。人の評価よりも神の評価、自分の力よりも神の力をより意識し、委ねていく時に私たちの周りにある人間関係のうちにもおのずと的確な距離感、また認識、そして祈りを置くことができるようになります。主の前に遜りましょう。主が的確な時により正しく用いてくださることを安心し期待しましょう!

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