真理のうちに

聖書は私たちに真理を教えてくれます。その真理の柱として神・罪・救いという要素がありますがこの罪と救いの関係を見るときに、罪を認める時に救いがある。ということが見えてきます。Iヨハネに罪はないというなら自分を欺いており、真理は私たちのうちにありませんということが記されています。そして逆に自分の罪を言い表すなら神様は赦してくださるということが記されています。永遠のいのち、救いはイエス・キリストを信じることで私たちに与えられますが、自分の罪を神様の前に認めるか認めないかという戦いはイエス様を信じた後にも私たちの内側で起こってきます。私たちはエデンの園でアダムとエバがしたように責任転嫁をしてしまう弱さがあります。この部分において私たちは主の前に自分の弱さ、罪を認める者である必要があります。義人はいない、ひとりもいないと旧約にあるように自分自身の行いで自分の義を確立することは出来ないことを認め、それでもなお愛して下さる神様の愛を知り、その愛を受け入れていくことから私たちは罪に対して自由にされていきます。真理は私たちを自由にします。それは罪によって縛られた思いからの解放です。また過去の失敗や罪に囚われ続けることからの解放です。私たちの心が神様にあって自由とされていくよう真理のうちに留まり、そして真理のうちに生かされていきましょう!

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