日常に顕れてくださる主

私たちが神様を求めて礼拝し、賛美する時、そのただ中に主の臨在を顕して下さいます。その中で私たちは様々なことを受け取っていきます。また私たちのなにげない日常の中にも神様は働いて下さいます。私たちが気がつくこともあるでしょうし、また気がつかないこともあるでしょう。大切なのは神様が自分の人生に関わって下さるということを知って、そして霊的に目を開いて見るということです。神様が自分の人生には関わってくれない。また多くの素晴らしい証をするような人と自分とは違うと卑屈になってしまったり、否定的な思いに囚われているならば、神様が恵みを表してくださっても、偶然やたまたまということばで済ませてしまうことでしょう。私たちが天に国籍を持つ者としてのアイデンティティーを持って神様を見上げ、歩んでいくならば神様は必ずその歩みのうちに働いてくださいます。教会生活と社会生活は別のものと切り分けるものではありません。信仰は土台となるものであり、そのうえで社会とどのように関わっていくかというように受け取っていくものです。弟子達の姿を見る時にいろんなことを考えることが出来ますが一度イエス様が来て下さったと分かるとそこには喜びがあり、また行動が伴いました。そしてイエス様は何か明らかに特別に見えることではないことを通して弟子達に多くのことを教えられました。その関係には尊敬や愛、また様々な麗しい関係が見られます。私たちは主に対してどのような感情、また思い、決断を持ってお迎えしようとしているでしょうか?主が私たちひとりひとりにも関わって下さることを期待を持って待ち望み、備える者となりましょう。

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