聖霊を欺かない生き方

生活する上で経済的な必要はそれぞれあります。生活するのに必要なギリギリの線の時もあればより豊かに満たされている時もあるでしょう。また必要が足りず困窮する時も人生の中にはあるかも知れません。この経済に対する考え方、また扱いについて旧約聖書、また新約聖書から私たちがどのように理解していくかはとても大切な事柄です。ユダヤ文化において富は神の特別な好意のしるし、また貧しさは不信仰や神に喜ばれていないしるしとして考えられていました。しかしイエス様はそうとはお考えになりませんでした。貧しい人たちのために助けるようにという事柄は実際律法の中にも多くあり、7年ごとの借金の免除や 貧しい人から保証の品を預かっても日暮れまでには返還するように記されていたりと律法自体は貧しい人を如何にしてなくすか、そしてそのために富んでいる人が富を分配していくかたちがそこにはありますが実際そうはなっておらず、現代社会の構図と似ている富んでいる人が貧しい人たちを犠牲にしてより裕福になっていく構図が当時のユダヤ社会にもありました。イエス様はそれらのことに関して富に仕えるのではなく神に仕えること、また神の国は貧しい人たちのものであることを教えられました。これらの深い意味を考え祈りつつ、私たちは心遜った者となっていき、そして自分こそは富んでいるという高ぶった思いや、また富んでいる人を妬むような思いに陥るのではなく、神様の財産の管理者としての心で神様に聞き、そして従う心で富を正しく扱うことが出来るように変えられていきましょう!

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