失望せず行う信仰~ガラテヤ6:7-9

私たちは様々なことばと行動で多くの種を撒いて生活しています。それは人に対する事柄と霊的な事柄の両面に及びます。人は多くの場合、自分の知っている情報に基づいた判断と自分が見ることが出来た事柄を元にして言動へと繋がっていきます。そしてその根底にそれぞれの考え方、捉え方、性格などの要因が影響を与えて種を撒くことになります。それはある物事に対する基本的なその人の反応に対して回りの人がその人の常の事として認知していく過程での言動という側面とどのような受け止め方をそれぞれがしていくかという側面が合わさって結果的に種となっていきます。そこで場合によっては誤解が生じることもあり得ます。しかし神様と自分との関係の中には私たちが神様を誤解することはあっても、神様は私たちのことを誤解するような方ではありません。つまり神様との関係において私たちはより真実な関係を持って高くもなく低くもない。ありのままの関係を持つことが出来ます。そして神様は私たちを通して豊かな実を実らせてほしいと願っておられます。私たちが善を行うことに飽くことなく、失望せずにいれば、時期が来て刈り取ることになります。とカラテヤ6章9節にはあります。人の評価で一喜一憂して言動がぶれていくのではなく、真実なる神様にしっかりと錨をおろして、波風のある人生の海原を時には止まり、また進んでいく必要があります。失望せず神様に信頼していきましょう。信仰の種を撒きましょう。主がよくして下さることを信じ、受け止め、宣言していきましょう。聖霊様が私たちの助け手としておられることはどんなに素晴らしいことかを理解し、親しい関係を保っていきましょう。主がひとりひとりの歩みを豊かに祝福し、信仰で撒いた種を喜び踊りながら刈り取る者となりましょう!

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