人の期待と神の期待~マタイ11:2-19

私たちが日常生活の中でサンプルや見本というもの、また説明を見て色々と予想して期待以上、期待以下という評価をしながら生活しているところがあると思います。メニューの写真と現物が思っていた以上に違ったとかいうこともあるでしょう。「どれくらい辛いのか」という主観的な質問に対して「大して辛くないですよ」という返事が来ても辛く感じるか感じないかは受ける側の主観によるとところが多いものです。また人に対する期待も様々な情報、期待、先入観、固定概念によって変わってきます。
マタイ11章にはバプテスマのヨハネとイエス様ご自身が当時ごく一部の人と信じたいが受けていた悪評について書かれています。そこには預言者やメシヤについての先入観と期待とのギャップから来るものを見てとることが出来ます。表面的な部分や一部の言動での評価がなされていることが分かります。新約にはいってから旧約と比べると様々な点で大きな変化があったことを私たちは聖書から知ることが出来ますが、当時の人々の中には混乱があったことが分かります。
現代に至るまで主は新しいことをなさっています。私たちはその表面上のものではなく、本質的なものを汲み取るべく、霊の目を開き、霊の耳を開いていただくように柔らかい心で主を見上げていきましょう。「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ」と箴言25章にあるように主の御心を求め祈っていきましょう。

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