信仰によって義とされる~ローマ4:7-25

信仰の父としてアブラハムという人物が聖書ではひとつの柱として書かれています。旧約で登場する人物ですが新約においても信仰による義、救いと愛によって働く信仰をこのアブラハムの信仰を通して教えています。「行いのない信仰は死んでいる」とヤコブは記していますが逆に行いがないと救われないという強迫観念を持つことも間違っています。神様を信じ、期待する時にそのように備え、また行動するのは自然なことです。誰かの誕生日を祝おうと思ったら「おめでとう」と声をかけ、また時には喜んでくれたらとプレゼントを探し、そして買いに行って準備するでしょう。これは思いから出て来る自然な行動です。また思いがあるから行動しているのですが行動を見て思いがあることも分かります。また思いがあっても行動出来なかった時に「なにかプレゼントしたいと思ったのだけど準備が間に合わなかったからまたなにかお祝いさせてね」と声をかけることもあるでしょう。これも思いがあるからです。この関係のスタートは何かを行動する前にある思いであることが分かります。まずそれで喜ばしいことですし、その先の行動までいけばそのことをよりきちんと認識することが出来ます。神様を信じる信仰と行いというのはこのような自然な関係から流れていきます。プレゼントを選ぶ時に何を喜ぶのかをいろんな情報や経験から選ぶように成熟したクリスチャンは神様の思いを知っていてそのことを満たそうとして行動することが出来ます。自分が好きか嫌いかではなく神様が喜ばれるから喜んでするのです。信仰によってより神様との関係を深め、共に集まり、歩んでいきましょう。

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