信仰の実~ルカ1:13-17
バプテスマのヨハネの父は祭司ザカリヤ、母はエリサベツという人物でした。エリサベツは不妊であったとありますがふたりは子どもが与えられるようにと祈り続けていたことが天使ガブリエルのことばから分かります。ふたりとももう高齢でしたが祈り続けていたのです。不可能と思えることを祈りによって受け取ったのです。
分別や常識というものはもちろん大切でしょう。しかし信仰がそのうえをいくことも主の導きの中で必要となる時があります。聖書を見ていくと未来完了形で書かれていることがとても多いことが分かります。メシヤ預言はまさにそうったものです。神様ご自身が時間と空間を作られたのですからその制限の外におられることが分かります。だからこそ主の御心は必ず成るという確信があるのです。
キリストの誕生と同じように預言されているのはキリストの再臨です。この誕生と再臨は聖書の中の2割強の文章量で記されている内容です。そしてその中に信仰によってつないでいく神様のご計画のバトンがあります。神様のご計画を受け止めて祈り備える人々がザカリヤとエリサベツ、またヨセフとマリヤのように主が語られた驚くべきことばを受け止め、従う人たちがそれぞれの時代において備えられていく必要があります。
それぞれの人生において神様がどのようなご計画を立てておられるのかを祈り求めること、また信仰によって祈るように導かれていることを信仰を持って受け止め直し、祈り続け、信仰の実を受け取る者、信仰の種を残す者ととなっていきましょう。