絶対的希望~使徒3:25
十字架のアクセサリーやデザインが至るところにあるのがふつうに感じる状況が日本を見るとありますが本来の十字架とは救いのシンボルではなく死刑の道具でした。
どうしてこれだけ十字架デザインが普及したかと考える時にイエス・キリストの十字架と復活の出来事を除外して考えることは出来ないと思います。その一度の出来事が2000年以上経っている今も影響を与えていることは本当にすごいことだと思います。
そしてこの十字架とは完全な死、しかも苦痛を伴った死を意味しました。現代における死刑制度というのは多くの国において苦しみや恐怖を出来るだけ感じないように短時間で終わるようになっていることが多いと思いますが十字架刑はそうではありませんでした。そこには深い恐怖の対象として当時扱われていたような側面もあります。
しかし、イエス・キリストがその死から復活されたことによって救いのシンボルのように扱われるように変化しました。イエス・キリストを信じるのであれば死や痛みも終わりではなく、そこから永遠に続く天国への希望を見いだすことが出来るのです。
聖書に記されている預言の完成であり、神様の愛の現れです。そこには絶対的な救いと希望があります。また私たちが主にあって歩む時そこから多くのものを見いだしていくことが出来ます。主にあってどんな時も絶対的な希望を抱いて歩んでいきましょう。