不完全からの備え~使徒1:12-26
もうすぐペンテコステです。イエスキリストの昇天から弟子達はいつまでということは知らされず祈り備える期間を持ちました。彼らはエルサレムの建物の上階に泊まりながら祈りに専念する中でユダが結果的に裏切り、そして自死していたことから12使徒から11使徒になっていたところを詩編69:25と109:8をペテロが引用し、特に近くで共にいた者の中からふたりと吟味して立て、そしてくじによってマッテヤを選びました。
マッテヤは聖書の中でここにしか登場しません。どのような歩みをこれからしていくのかは伝承や伝説の域を出ません。ここで大切なことは人の側の備えと神様からの選びをここに見いだすということです。ここのやりとりの中でペテロは2箇所の詩編の箇所をつなげて語っています。この解釈の仕方は使徒の働きでしばしば見られる強い霊的解釈です。文法的解釈や歴史的解釈では出てこない発想だと思います。ここで注目するべきことはこの使徒の働きの著者はルカであり、彼は医者としての働きをしていたことから知識人であり、聖書にも詳しかったと思われること、またそこには他の使徒達もいますからペテロ以上に聖書に詳しかった人物も多くいたはずです。そこでこの強い霊的解釈に皆が同意し、著者であるルカもその事実をテオピロという人物に向けて説明するために書いている手紙の中で明記しています。ここには霊的一致が与えられていたと推測することが出来ます。
そしてここにはマリヤをはじめ婦人達も共にいました。初代教会のかたちがすでに整っていたことを見ることが出来ます。
そしてその中で欠けていたところ、不完全なところを補い聖霊の訪れに対して備えました。御霊の一致を持って主を待ち望みましょう。