週報より~認め合い助け合い~

私たちは認められるという潜在的欲求との戦いを生涯繰り返します。自分より上か下かとか考えたり、そういった自分だけの考えを元に感情が揺れ動いたりしたことはありませんか?自分より優れた能力やまた環境が与えられている方を見ると羨ましくなったり、寂しくなったり、その逆だと優越感を覚えたり、見下したり、神様の視点から見た時に本当にそれは悲しいことだと思います。それぞれ特別でかけがえのない存在として神様が愛してやまないひとりひとりがお互いに裁き合うことほど悲しいことはありません。その根底にあるアイデンティティをしっかりと神様にあって確立し、そういった視点や思考パターンのループから私たちは自由にされる必要があると思います。お互いの長所を認め合い、そして短所を補い合うことが出来たらどんなに素晴らしいことが出来るでしょうか?そしてお互いに教え合い受け入れ合えたらどれだけ成長出来るでしょうか?同じ事を言っていても偉い先生の言うことは聞くけど自分が見下している人が言ったのは小馬鹿にしてしまったり聞く耳を持たない姿勢は私たちから多くの成長の機会を奪っていきます。もし持つことが出来るのならば全ての人、全ての機会からひとつでも学んでいこうとする姿勢を持つことが出来たら素晴らしいと思います。イエス様の生涯を見ていく時にどんな人にもフラットな接し方をしておられることが分かります。私たちもそのような主にあってフラットな姿勢で対人関係をもう一度築き直す必要があると思います。そうした時に多くの宝を発見することが出来るでしょう。 [Read more...]

週報より~高めあえる人間関係~

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。と箴言27章17節にあるように私達は様々な人間関係を通して磨き上げられていきます。しかし注意すべき点はどういった影響をお互いに出し合っているかです。一緒にいて悪い方向へと引っ張っていかれる関係は問題が大きいでしょう。しかしお互いにいい刺激となり、お互いの成長の助けになるような人間関係は本当にかけがえのないものです。そういった高めあえる関係であっても時としていつでも幸せばかりではないでしょう。どちらかが劣等感を持っていたり、また依存的な状態に陥ってしまったり、、、バランス感覚をしっかり養え、お互いが主にあってつながっていこうとする時にこのとがれるという表現の通りのことが起こってきます。刃物を実際研ごうとすると角度、水分、砥石の種類など様々なことに気を遣うことになるでしょう。研ぐという作業はこれらのことを考えつつ、継続して根気よく作業することが求められます。私たちの築こうとする人間関係も似たようなところがあります。よい意味での相互理解があり、高めようとするならば本音の意見交換もする必要があるでしょう。誰かがずば抜けて強いということはないからです。自分の弱さも認め、そしてそれをお互いに補いあっていくときに高めあっていける最高の人間関係をも得ることができます。 [Read more...]

週報より~罪と真理を知る心~

私たちは本来罪のある存在でしょうか?それとも元々は罪のない真っ白な存在でしょうか?赤ちゃんは罪もなくきよい存在でそれがだんだんと汚れていくと多くの方が思っていると思います。しかし聖書は私たちが罪人であると明確に記しています。難しいことばで言うと原罪ということばになりますが、エデンの園でアダムとエバが神様のいいつけを破ったことに始まる私たち人類が負っている生まれながらの性質です。利己的で腐敗しやすい体質がそこにはあります。利己的であるからこそおなかが空いたら泣くし、愛を求めてだだをこねて私たちは成長してきました。しかしその性質が原罪であることをみことばから受け止める必要があります。神様の赦しは完全であり、すでに用意されているからです。私たちが自分の罪を神様の前に言い表す時にそこには裁きではなく赦しがあります。そして赦すだけではなく罪からきよめて下さいます。頭では分かっていても、私たちの日常生活で起こってくる様々な問題に対してどこかで自分は悪くないと言い張る自分を発見したことはありませんか?そういった時にこそ自分の弱さ、罪の性質を発見し、神様の前に出ていくべきです。そこに真理があります。赦しを受け、きよめられていく中で私たちは少しづつ成長していくことが出来るのです。昨日の自分を超えることが出来るのです。一度出来たからといって怠慢な心になってはいけません。日めくりカレンダーのように日々私たちはこの罪と悔い改め、赦しときよめを信仰のサイクルとしてこなしていく必要があるからです。そこに信仰の戦いがあります。主にあって罪に打ち勝ち、主の前に日々遜る者となりましょう! [Read more...]