週報より
期待しているからこそ厳しく鍛える、より高いハードルを越える事を望まれるということはあると思います。私たちも親の期待や先生の期待、友達の期待、恋人の期待、家族の期待など様々な期待を感じ、それを時に励みとし、また時としてプレッシャーとして受け止めて歩んでいると思います。全く期待されなくなることは本当に寂しいものです。最初のうちはうるさく言う人がいなくて楽だと感じるかも知れませんが、治部は相手にされなくなっていたと気がついた時は過去形の自分がそこにいると実感してしまいます。人の期待は様々な都合や好みで移り変わりやすいものです。しかし神様の期待は秋の空のような移り変わりやすいものではありません。期待があるからこそ私たちの人生には試練もあるし喜びもあります。限界を感じるからこそその限界を超える事ができるようになるのです。神様の方法で私たちはそれぞれ様々なところを練られます。その結果今の限界は一年後に突破出来ていることを知ることが出来ます。しかし練られると一言で言ってもその過程は時として辛く、孤独を感じる道もあるでしょう。そういった災いだと思えることも神様の期待があるからこそ、と受け止めて祈り前進したいですね。休みながらでも確実に一歩づつ、前へ前へと神様の御心を、出来ればそのど真ん中を歩んでいきたいですね!