週報より~心の割礼~

主に旧約の時代においてユダヤ民族は割礼を受ける風習がありました。神様がモーセと通してイスラエルの民を選んだしるしとして行われていました。新約に入り、福音がユダヤ人だけではなく諸外国の人々に伝わっていくときに、この割礼を受けるべきではないかという議論が巻き起こりました。旧約からの流れを見る時にイエス様も割礼を受けています。しかしこの議論は最終的に肉体的に割礼を受けているか受けていないかよりも愛によって動く信仰が大事であるという結論を生み出します。割礼は神様に選ばれ、救われる民の印として制定されましたが新約にはいり、肉体の一部を切り捨てて選ばれるということを雛形として全身を十字架によって捨てて下さったキリスト。そしてそのキリストを信じることによってすべてを神様に献げていくという救いの完成に至ります。その結果、救われたことの印は肉体的な割礼ではなく、むしろ神様の愛を知り、そしてその愛によって生かされていく私たちの信仰、生き様こそが大切だと聖書は教えています。愛されたからより愛することが出来ますし、赦されたからこそ私たちも赦すことが出来ます。私たちは無理をして偽善者ぶるのではなく心の底から変えられて、清々しい生き方をすることができるのです。キリストの十字架は私たちすべての人のためであり、その価値は決して私たちの努力や宝くじにあたるように確率で手に入るものではありません。信じることによってその素晴らしいものを得ていることをしっかりと心に刻み込んで、愛によって生かされ、行動できる者となっていきましょう。

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