週報より~ルールはなんのためにある?~
どんな地域や民族であっても法律や戒律、律法という堅い表現やマナー、礼儀、時には常識という言葉を用いてある一定のルールが設けられています。文明の進んだ社会においても、まだ発展途上の地域においてもです。このルールは守っている限りはなんのデメリットも負債もありませんがそのルールを破った場合、そこには罰金や減点、また懲役などの刑罰が生じます。このルールは地域によって誤差はありますが基本的に安全にその地域共同体が運営出来、そこに住んでいる人が守られるために作られています。しかし時代の変化と共にその本来の意義から外れてしまってただ裁くためのものであったり、的外れになっている場合もあるでしょう。そういった時にまた新しくそのルールを作り替えていく必要もあるでしょう。大切な事はひとりひとりの人権がしっかりと守られるためだからです。ここで行き過ぎた人権と形骸化した規則の衝突も時として起こるでしょう。そういった時に何を基準にして線引きをしていくのかが非常に難しいと思います。クリスチャンは聖書に立ち返るというスタンスを持つことで人と人のつながりの前に神と自分というまず縦の繋がりをしっかりと保ったうえで自分と人という横の線をつないでいきます。そのどちらも大切な繋がりでそれは織物をする時に縦糸と横糸のどちらも大切なのと同じことです。ただ基準がはっきりしているということです。聖書のルールは聖書が教えていることに勝手な解釈で足したり引いたりしないことです。私たちの人生には分からない事や解決出来ない問題もあります。それは横の線の問題かも知れません。まず縦の線を、神様と自分の繋がりをしっかりと保ち、そして右にも左にも逸れないようにしていきましょう。