週報より~責任に伴う落とし穴~
社会でも出世するに従って横柄になったり横暴になる人をしばしば見ることがあります。これはその人が本来もっている未熟さから高慢という名の落とし穴に落ちている状態です。自分が人より優れていると優越感に浸ることも自信をつけるという意味でたまには良いかも知れませんがそういった感情は麻薬のようなもので人間関係での細やかな感性を麻痺させてしまいます。自分が得た立場以上にその責任を自分の力では果たせないと自覚し、支えてくれる人々に感謝しつつ神様を仰ぎ見るリーダーは遜り堅実に歩むことが出来ます。しかし未熟なまま立場を得てしまうことは旧約聖書のサウロが通ったような道を歩んでしまうケースも多いでしょう。彼は自分よりなにか秀でたものが許せないばかりか味方であるダビデを敵と見なして命をつけねらいました。もちろんダビデの対応が完全であったとは言えませんがサウロは王であり神様に従うことをもっと知っていれば歴史は変わっていたことでしょう。ダビデはその点悔い改めることを知っていましたがそれでも失敗したこともあります。聖書を見るとモーセやダビデ、ヤコブやアブラハムなど大きな働きをした人物ほど大きな試練を何年も時には何十年も通過してそこで砕かれ遜り、神様を信頼することを体験的に学んだ上での働きがあることを見いだすことが出来ます。今用いられていると思うならばそれを感謝し遜りましょう。また今なにも出来ていないと不満や焦り諦めを覚えているならば神様を見上げて状況に左右されないバランスのとれた品性を身につけましょう。賜物はすぐに身につきますが優れた品性はそう簡単には身につかないからです。また優れたクリスチャン品性は何物にも勝る宝だからです。人のつけた肩書きよりも神様にしっかりと目を留めて歩みましょう。