週報より~支え手となった人々~

ひとりを支えるために多くの人が必要になる場合があります。パイロットをひとり飛ばすために3000人前後のクルーが関わっているという話を聞きました。空では一人かも知れませんがそれを支える多くの人々があってはじめてその働きを全うすることが出来る代表的な仕事といってもいいでしょう。ヨーロッパの歴史に深く関わりを持つパウロの宣教旅行も多くの教会やクリスチャン達のささえがあって初めて成り立つものでした。しかしすべてその地方にある教会やクリスチャンがパウロに援助をし続けることができたのかというとそうではありませんでした。詳しい内情は書かれていませんが第2テモテ1章の終わりにパウロのもとを離れたふたりと物心両面において支えた人について書かれています。経済的に援助することは時として困難になることは十分に考えられます。その結果関係が疎遠になってしまったのでしょうか。いずれにしてもそういった私たちの日常にもあり得る人間模様が当時宣教の背景にはありました。支えてくれた人々に対してパウロは「かの日には、主があわれみを彼に示してくださいますように」と祈っています。むしろそう祈ることでしかパウロにはその援助や支えに対して応えることが出来ない状況でした。彼は比較的自由が与えられているとはいえ囚人として繋がれていたからです。それでも主はそのような困難にあってもパウロを用いて多くの働きを残していかれたのです。一見そんなパウロを支えることは小さい働きに見えます。しかしそれが後のヨーロッパがキリスト教国家を多く生み出す原動力となったのです。主にあって働き、主にあって出来る範囲で支え続け、関係を大切にしていく者となりましょう。その中に後の日の宝物があるからです。

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