週報より

大伝道者パウロの生涯は波乱に満ちたものでいた。その晩年はローマへの裁判に向けての囚人としての船旅やまた非常に困窮した状態かつ味方のいないような裁判など本当に辛い状況がありました。しかしその絶対絶望ともいえる状況でパウロは多くの傍聴人を前に福音を語り、そしてその状況から神様によって守られて諸教会を力づけます。多くの人はそんなたいへんな晩年は望まないでしょうし、もっと平穏に過ごしたいと願うと思います。しかし彼のこの信仰の歩みがあったからこそ後にローマ帝国は迫害する国からキリスト教国となりました。世界に大きな影響を与えたのです。もちろんそこから始まるキリスト教国の歴史の中には多くの過ちがあります。その原因となるのは神が裁くのではなく人が裁いてしまっているところにあります。誰かを裁く時に自分を絶対正義としてしまうことは非常に危険です。イエス様は罪を犯した人を群衆が連れてきてどうするか試した時に「あなた方の中で罪のないものが最初に石を投げなさい」と言われました。その結果年長者をはじめひとり、またひとりとその場から去っていき、イエス様だけが残りました。きっとイエス様にはその定義でいうと石を投げる権利があったはずです。しかしイエス様は「私もあなたを罪に定めない」と赦しを宣言されたのです。このイエス様の裁きこそ私たちが目指すべき姿です。その赦された人はしめしめと思ってまた同じことを繰り返したでしょうか?きっと悔い改め人生を新しく歩み出したはずです。人の裁きは痛みを伴い間違いも生じます。しかし神の裁きは人を赦し解放し、自由にし、そしてつくりかえることができるすばらしいものです。早まった裁きをする者ではなく赦しを宣言する者となりましょう。

Follow me!