週報より~私たちの負債~

教会の歴史の中で宣教という大きなテーマがあります。自分たちが住んでいる街で地道に伝道したり、多くの未開の地に宣教に行ったり、規模は違っても教会の大切な働きのひとつには変わりがありません。その方法は直接的であれ間接的であれクリスチャン全員が担っている働きです。口べたでうまく話せなかったりしても、その人がいるだけでホッするというだけでも大きな慰めを時として与える事が出来るように人々の救いのために祈り、仕えていくことは大切なことです。ではなぜ宣教がそれほど大切でクリスチャン全員が担っているのでしょう?パウロはローマ人への手紙の中でギリシャ人にも未開人にも、知識がある人にもない人にも、返さなければならない負債を負っていますと記しています。この負債とはなんでしょう?彼が何かよほど悪い事をしたり借金していたのかというとそうではありません。聖書の大切な流れとして契約というものがあり、そこから発生するものは相互にある義務です。この負債とは神に対して負っている義務のことであり、それを負債という表現でパウロは記しています。彼が宣教する時にその負債が減っていく。しかし未開人にもと書かれているのでその負債には終わりがないということも意味しています。そして負債とは本来恥じるべきものですが宣教の中で様々な経験をする時でも恥とか名誉という基準ではなく、神様の御心に従っているか、正しいことをしているかどうかという事に重きを置くというスタンスを取る時に文化的な基準を超えた価値観を持って歩むことが出来ます。主が愛して下さったのですから私たちも互いに愛し合い、そして主の愛に生かされ、伝える者となっていきたいですね!

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