管理者としてふさわしく~週報より~
管理者という立場が私たちの社会には多く存在します。
安全管理者、衛生管理者など商売においてもそうですしまた保護者や責任者という立場まで含めると多くの方がそういった立場を経験されていると思います。
管理者というところにフォーカスをあてると過不足のチェックや基準の中に対象が収まっているかということを定期的に管理する必要があり、
また時としてその物事を集中的に取り扱う必要があります。
またそのために必要な知識や能力を備える必要があります。
神の家の管理者、すなわち教会を建て上げていく管理者の資格についてパウロは非難されるところがなく家を正しく治めることが出来、
さらにその品性においても言及しています。
なかなか高いハードルですがとても大切な事柄が多く含まれています。
しかしリーダーだけがそうなればいいという考えは間違っています。
ひとりひとりがそういった示されている内容を吟味し、
自分に適応出来るところを信仰持って受け止めて成熟していく必要があります。
なぜなら教会とはイエス様に従っていこうとする人達の集まりでありひとりひとりがオーナーシップをしっかりと持って繋がりあっていくべき共同体だからです。
神様がつなぎあわせて下さる時にお互いに遜り、
またお互いに引き出し建て上げあっていくことが求められます。
それは分かりやすいピラミッド型の子組織構図が当てはまるようなものではありません。
一人一人が繋がって輪を作るようなものです。
そのどこがかけても円になりません。
繋がりあっていくということは上下のつながりではなく横の広がりであり調和です。
そして共に神様を見上げて従っていく時に素晴らしい恵みが注がれます。
ひとりひとり管理者として相応しく整えられていきましょう。