3本の十字架~週報より~

受難週ももうすぐ終わりを迎えます。イエス様の十字架をどういうものとして自分自身受け止めていくかを思い巡らしましょう。イエス・キリストを信じることによって救われるという福音の根幹を成す部分がこの十字架です。十字架の前提として罪というものがあります。十字架は本来ローマ帝国が考えた残酷な死刑の方法です。それは罪人を出来るだけ苦しめて殺すための手段でした。私たちには罪があるということを認め、そこから救いへ至る道が私たちの身代わりとしての十字架です。イエス様の生涯は人としての歩みの中にあっても神の前に罪がない生涯を過ごされました。そしてその罪のないただひとりの御方が私たちの罪を負い神様の前に贖いの業を成し遂げてくださったのです。それは神の愛のゆえに私たちに与えられた救いの道です。自業自得というのが私たちの文化の基本です。その行いにふさわしく刈り取ると聖書にもあります。しかしこのルールを超越した神様の愛が十字架、そして復活へと続く出来事です。裁かれるべき私たちがイエス様を信じることによって救われる。この裁かれるべき存在であることを知ることと神様を知ることをさらに深く理解しましょう。そうする時に十字架はただのファッションでも飾りでも死刑の道具でもなく、私たちと神様を繋ぐ架け橋となるでしょう。

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