積極的苦しみ

人生における苦しみや葛藤にはいくつかの種類があります。まず刈り取りによる苦しみです。これは種を蒔けば実を収穫するように自分でした明らかにその文化、法律において悪い言動をしたことによって受ける結果であったり不摂生からくる不健康というように自分のしたことに対する結果起こるものです。そして二つ目は知っているからこその苦しみです。それは経験や知識に基づいて起こる葛藤が多くを占めます。マナーを知っていたりすると自分にだけ当てはめている時は良いのですが自分の周りでそれができてない人を見ると気になって仕方がなくなったり不愉快に感じたりするものです。最後に信仰があるゆえに通る苦しみです。クリスチャン生活が長くなってくるとクリスチャンであるからこそ、また特に真剣に神様に向き合っていこうとするからこそ通る困難な状況や知恵を働かせたり、配慮を持って乗り越えなくてはいけない場面に遭遇します。社会的不義であったり文化の中に巧みにはいっている偶像礼拝であったりそのパターンは多く知ったからこそ祈れる問題であると共に知ったからこそ起こる戦いの現実があります。そういった人生の困難において聖書は特に信仰ゆえに通る艱難について多くの励ましを与えてくれます。イエス様は私たちのために低くなられました。私たちが豊かな者とされるためという側面とイエス様のそういった砕かれた品性を私たちも身につけていくという両方のバランスが求められます。主と共に歩む道のりは人間の視点から見て平坦ではないかも知れません。しかし主はそれらを平らにすると言われる方です。聖霊の助けにより忍耐、希望が私たちに備えられ力が与えられます。主にあってひとつひとつの困難を乗り越えていく者となりましょう!

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