主が来られる心~イザヤ59:20-21
街が徐々にクリスマス仕様に変わっていく中で大切なことを忘れていないか見直してみたいと思います。クリスマスとはイエス・キリストの誕生を祝う時です。この部分において日本においてかなりずれがあるように感じます。主人公不在の誕生日会をするようなことをせずにしっかりとその意味を知っていくことが大切です。
イエス様が来られたのは私たちを救いに導くため、また福音を伝えるためでした。そしてその道を整えるためにバプテスマのヨハネが現れました。バプテスマのヨハネは悔い改めのバプテスマを持ってイスラエルの民の心を整えました。この心こそが神様との関係を正していくうえでとても重要な土台となります。
イザヤ書59章を見る時に捕囚となってもその場所で神様に立ち返り、悔い改めるならば主がそこに来てくださることが書かれています。神様の前に罪がない人はひとりもいません。ですが神様の前に罪を認め、悔い改めた心で出ていくということがなかなか出来ない現実があると思います。他人と比べて自分のほうがマシだと思ったり、自分の事は棚にあげたり私たちはしがちです。ですからイエス様は他人の目の塵をとろうとする前に自分の目の梁を取り除くように教えられました。それほど自分の事を正しく見るのは難しいものなのです。
しかし、聖書を見ていくなら罪とは何か、なぜ救いが必要か、神様の愛がどれほど大きいのかということを知るようになります。知ることと体験していくことは違います。自分と神様との関係を正し、悔い改めた心を持ってこの季節を歩んでいきましょう。