信仰によっての行い~ローマ14:22-23

 相手への配慮で自分の行動を制限するような場合があります。その土台に愛があればそれは素晴らしいものです。文化的に相反するような習慣がある人々が集まる時にこの配慮にも限界が訪れます。
聖書には肉をどのように扱うかということを例にあげてそれぞれの信仰によって行うならばそれはどちらも問題ないということがらが書かれています。当時のエルサレムにおいても多様性がありましたが移動手段が発達し、通信手段も多様になった現代においてこの問題をどのように扱うかということもかなり受け入れ合いやすい土壌になっていると思います。それは多くの文化の違いをより理解しやすいことから自分の当たり前が他の人の当たり前ではないということを多くの方が理解するようになっているからです。ですから周りの人の表面的な習慣などの違いでつまずくということが減ってきたと思います。
聖書を土台として考えるならばお互いの違いを受け入れ合い、繋がり合うことで教会がキリストの体として建て上げられていくことを理解することが可能になります。しかしちょっとした信仰のスタンスの違いが気になってしまうこともあるでしょう。そのような時にこそ聖書に立ち返り、精査し、神の家族としてひとつとされていくように整えられるように励みたいものです。
私たちの習慣、行いが信仰を土台として建て上げ、そして自らも良いと認めることを神様の前にも人々の前にも行う者とされていきましょう。

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