主にあって愛し合う~Iペテロ1:22-23

詩篇122篇は都上りの歌と呼ばれる詩篇になります。っしてその中には「平和」ということばが3回出て来ます。この平和はシャロームということばでイスラエルでは挨拶に用いられることばでもあります。

 そしてこのシャロームには平和とか平安という意味合いだけではなく、健全さや完全さという意味も含まれます。そして健全さとは神と人との関係が適切で、神のみ旨に従った秩序のもと、人がすべての被造物を用いている状態を指す言葉としても使われています。
 神様がイエス・キリストを送ってくださり、救いに招きいれてくださった者達の集まりが教会です。そこは詩篇122にあるように主にある城壁に囲まれた主の治めるところとして神と人、そして人と人が健全に愛し合うところとして主の秩序と御霊の自由があるところです。これらの聖書から来る概念は私たちの信仰の軸を形成していく上でとても大切です。 ひとりひとりの主によって与えられている個性や賜物の違いよりも主によって互いに治められ、主にある健全さを持って引き上げられていくような交わりをいよいよ大切にしていきましょう。
 そして神と人、人と人の間にある隔ての壁を主にあって取り除かれるということを体験していくことは私達の小さな問題ではありません。みことばが明らかにしているようにそのようなシャローム、平安がエルサレムにあるように祈るその祈りにみことばと実践が合わさる時により確信を持って祈ることが出来るのです。主あって共にピースメーカーとして祈り仕える者とされていきましょう。

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