イエス様にある平安~週報より~

生活しているとそれだけでも心配や不安があるものですね。仕事での心配ごとや不安なこと、経済の不安や人間関係から来る心配事など生きていく時にそういったストレスはつきものですね。逆に心が安らいでいられる状態とはどういったものでしょう。人間関係に恵まれていること、経済的に満たされていることなどが挙げることが出来るでしょう。しかしそういった状況は移り変わっていきます。出会いがあれば別れもあり、成功がなにかのきっかけで挫折へとつながる可能性はいつでもあります。健康も絶対的保証があるものではありません。イエス・キリストは私たちにそういう流動的な平安とは違う決して変わらない普遍的な平安を与えて下さっています。イエス様を救い主として信じる時に私たちの罪は赦され、天国への道が備えられています。それは行いによらず信仰によって与えられる普遍的な恵みです。自分が死んだらどうなるだろうか、どこへいくだろうかと不安と恐れに苛まれることはありません。行き先ははっきりと決まっています。自分は無価値だと諦める必要もありません。神様はあなたは高価で尊いとはっきりと聖書を通して語って下さっています。その約束は変わりません。感情の波風は吹き荒れるでしょうがイエス様を信じる人には根底の部分での平安が与えられており、その確信を強めていく時に状況によって襲ってくる不安や恐れの波におぼれてしまう危険性はどんどん低くなっていきます。全き愛は恐れを締め出すと聖書に記されている通りです。神様の愛は完全な愛です。その愛をさらに深く知り、そして心で受け止めていきましょう。そうする時に私たちの小さな愛の器からも溢れ流れて尽きない愛を流し出すことが出来るようになるのです。 [Read more...]

受ける恵みにふさわしく~週報より~

新しい革袋に新しい葡萄酒を入れる例え話はイエス様の有名な例え話のひとつです。 しかしその前後の文脈を見ていくとバプテスマのヨハネの弟子達が自分達とパリサイ人は断食するのにどうしてあなたの弟子は断食しないのですか?という質問があり、 それに対する回答が有名な継ぎをする布きれと葡萄酒と革袋の話となります。 花婿が取り去られたら断食すると前置きもされていますがこれはイエス様の十字架、 また復活後の昇天の事を指しておられることは想像しやすいです。 断食をするタイミングについて言われているように思いますがその前に遡るとイエス様が収税人であったマタイを弟子として招かれ、そして罪人達と食事をしている時にパリサイ人達がなぜ罪人と食事をするのですかと質問し、見事な回答をされた後に続きます。 断食は有益なものです。 しかしその受ける恵みに相応しく柔らかい心で備える必要があることをイエス様は教えておられるのです。 儀式的であったり形式的であったり、義務感であったり、 また競争意識から断食をしてもそれは自己満足や高ぶりつながる結果になることもあります。 断食して神様の前に出ることもとても大切です。 でもそれ以上に大切なのは私たちが常に柔軟な心で神様の前にいるということです。 それぞれに与えられている神様の恵み、またチャレンジがあると思います。 それを周りと比べるのではなく、柔らかい心で受け止めて恵みを味わい知るものになりましょう! [Read more...]

世界は広い。そして世界には神様にある家族がたくさんいる

GWに神戸であったホームカミングギャザリングに行ってきました。 なにそれ?って感じで一見なにをするかわかりにくい集会名。 でも31カ国から総勢5000名を超える参加者が集う国際的なイベント。というとちょっと魅力的に響きます。 このギャザリング=集まりはキリストにある神様の家族が一緒に集う旅路というのが大きなテーマとしてあり、また聖霊様に従ってすべてのことが進んでいくというのが大きな特徴です。 コアリーダーミーティングにも参加させて頂きましたが本当に壁がなく、すごく近い距離感で神様が望んでおられることを汲み取りながら進んでいきます。家族会にプログラムがないようにこの集会にもプログラムはありません。今回決まっていたのはドイツと日本が神様の愛による同盟を結ぶということくらい。 でも4日を通して大きなうねりのような流れがあり、 すべて参加して見た私の感想は本当に麗しく素晴らしい集いというものです。 多くの方と知り合うことも出来、また多くのことを学ぶことが出来、そしてなによりも多くのことに気がつかされ、分かっていても心がついていかなかったような自分の限界をひょいっと超えたような感じがします。 周りを見ていても特にミニストリーの時間はなくても賛美の中、祈りの中でそれぞれが取り扱われて本当に回復やいやしが与えられ、強められ、会を重ねるごとに目が輝いていくのが手にとるように分かるほどでした。 いくら素晴らしいメッセージを聞いたとしてもすぐに変われる人はそう多くはありません。でもこの集会には家族の暖かさの中で整えられていく麗しい流れがありました。少なくとも私はそう感じました。 今年はいろんな視点から特別な年としての位置づけがありますがキリスト教界でも同じような思いを与えられている方が多く、このギャザリングの働きも2015年は多くの集会が今年持たれます。私も海外のギャザリングに扉が開かれれば是非参加してきたいと願っています。 [Read more...]