マルコの福音書1章21-34節より
2020年2月23日主日礼拝メッセージ
この地上には権威と呼ばれるものが存在する。大統領、裁判官、また学校、職場、家庭にもそれぞれ権威を有する者がいる。この権威が正しく働かないと様々な問題が起こってくる。生まれ持って権威を持つ者はいない。この地上のすべての権威は神様が立てられたものである。神様は、すべての権威の上に存在する。神様こそが、まことの権威、主権を持たれるお方である。万物を創造され、それを保持され、罪に堕落した霊的、物質的なすべての救いを成し遂げてくださる。
教えることにも権威ある言葉で教えられる。聖書は神の言葉で権威がある。
人間はこのまことの権威を持つ神様に従がう時のみ、正しく尊く、神さまに愛された存在である自分を受け入れ、人間として自由に生きることができる。この権威に逆らって生きることが罪である。
キリストはこの権威を神様から与えられ、悪霊に対して、万物に対して従わせる権威を持ち、この世を広義と正義によってさばき、治められる。そして罪を赦す権威を持つ唯一の方である。
そのために王の王、主の主であるキリストが仕えられるためでなく、仕える者として、自ら十字架で、私たちの罪のために死んでくださいました。私たちに愛を示され、愛し合うことの模範となられました。
キリストを罪からの救い主として信じ従う者は、罪赦されて、まことのいのちを得る。そしてキリストの権威をもって、人を赦し、愛し、悪霊や罪に打ち勝つ力をもって、キリストに遣わされた使節として地の塩、世の光とされる。